兵庫県神戸市東灘区
大人のためのMINEKOピアノ教室
講師紹介
松崎美音子 Mineko Matsuzaki
音楽好きな父のいる家庭で育つ。6歳より、父の伴奏をするためにピアノを習っていた母と一緒にピアノを習い始める。18歳で音楽大学入学と同時に近くの音楽教室の店長さんから依頼されたことをきっかけにピアノを教え始める。
卒業後は自宅以外に音楽教室でもピアノ講師として働くが、結婚して転勤族となり、教えることをストップ。国内だけでなく、シンガポール、イギリス、ポルトガルなどの海外を含め、10回近くの引越しを経て、帰国。
介護で疲れている友人からピアノを教えてほしいと頼まれ、レッスンをすると、あまりにも喜んでくれる様子を見て、ピアノの指導を本格的に再開。
ピアノを弾いて、みんなにハッピーになってもらいたいと思い、現在、神戸市東灘区で大人のためのピアノ教室を主宰。
弾きたかった曲が弾けるようになって喜ばれている姿を見て、指導者としてのハッピーをもらっている。
一生通えるピアノ教室として、長く、無理せず、それぞれのレベル、ペースに合わせて指導しながら、よりステキに憧れの曲が弾けるような指導に好評を得ている。
経歴
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大阪音楽大学 ピアノ科卒業
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お豆奏法 継続勉強会(第4期)修了生
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お豆マスターメンバー
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ヤマハピアノ演奏グレード5級
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ヤマハピアノ指導グレード5級
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ヤマハピアノ教室認定講師
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中学校教諭1級普通免許
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高等学校教諭2級普通免許
私がピアノ講師になるまで
お稽古ごととして始めたピアノだったけど・・・
父が音楽好きで、歌ったり、ピアノやチェロを趣味で弾いていました。母が父の伴奏をするためにピアノを習っていて、私も一緒についていくうちにいつしか習うようになったようです。
先生の家が少し遠かったので、毎週ではなく、2週間に1度のレッスン。そのせいか、近所のお友達はいつも私より進んだ曲を弾いていました。
小学6年生の音楽会で初めて、ピアノに立候補。候補者がひとりずつ、課題曲を弾き、クラスのみんなが机に伏せ、手を挙げて、誰がよいか決めることになりました。
ドキドキしながらも、選ばれて、すごく嬉しかったことを覚えています。
中学ではテニス部に所属。
練習のある日は疲れて、ピアノに向かうも睡魔に勝てず、鍵盤からソファーへ。
そして、ベッドへの毎日でした。
高校卒業後の進路を決める時に、何が一番やりたいか、何が自分は得意なんだろうと考えて、好きで続けていたピアノで音大を受験することに。
それまでの先生に加えて、新しく先生につき、レッスンが大きく変わりました。
いつも、曲をもらうたびに「こんなのが弾けるのかなあ?」と思いながらも練習すると弾けるのが、不思議で嬉しかったです。
それまでとは違って弾く時間が増え、食いしばって弾いていたのか、歯が痛くなり、マウスピースをはめて弾いたり、筋肉疲労の回復につながると聞いて、ビタミン剤を飲んだりしながら、練習。
そのかいあって、音大入学。
ピアノの先生として
入学と同時に近くの楽器店の店長さんが家にご挨拶に来られ、生徒さんのご紹介を受け、先生デビュー。
生徒さんには、初めてピアノを習う幼稚園のお子さんから、ピアノを長く弾いてこられた主婦の方もおられ、レッスンをすごく気に入って頂けました。
私自身、音大を目指すのが遅かったので、絶対的にピアノを弾いている時間が少ないなか、入試の課題曲レベルの曲を弾いてくるように言われ、いつも、「私、こんな曲が弾けるんだ」と思いながら、取り組んでいました。
楽曲を分析することを覚え、どうやったら弾けるようになるのかを考えて、いろいろ試して弾いていました。
また新たに先生がついてからは、どう弾くと魅力ある演奏になるのかを教わり、そういうことをレッスンでもお伝えしたのがよかったのだと思います。
どうして、ピアノ一筋でやってこなかったのか?
進路決めが遅かった理由のひとつに音楽という狭い世界だけで生きていくより、もっと国際的な分野で活動したいと思っていたこともあります。
音大在学中は、テニスサークルに入ったり、小さい時にキャンプに参加して憧れたYMCAのリーダーをやったり、春休みにクウェートに約2ヶ月行って、西洋とは違うアラビアの文化に触れる機会を得て、いろんな刺激を受けました。
卒業後は、ピアノ以外の世界も見てみたいと思い、放送会社に就職。
しかしながら、毎日の決まったルーティーンワークから、いろんな音を求めて、弾き方を工夫し、表現できるピアノに関わる仕事に戻りたくなって、退社。そして、自宅と楽器店でピアノを教えるようになりました。
結婚して、転勤族に・・・
結婚を機に、生まれ育った神戸から、関東に移ることになり、ピアノを教えることをやめました。
その後、子育てしながら、川崎、宝塚、シンガポール、神戸、イギリス、ポルトガルと転々。
海外では、ピアノがなかったり、次々と変わる環境の変化に親も子も大変でピアノどころではなかったり、一番ピアノから遠ざかった時期でもありました。
私には結婚前に調律師さんから紹介されながら、結婚が決まって、数ヶ月しか教えることができなかった生徒さんがいます。そのときの申し訳なさから、長く教えることができない環境にいる限り、ピアノを教えることはしないと決めていました。
ピアノで人が変わる♪
そして、日本に帰国。
ピアノが家にあること。そしてそのピアノが弾けるだけで、嬉しくて、満足していました。
そんな時に介護が必要な親と同居して疲れている友人からピアノが習いたいと言われたことをきっかけに、気晴らしになればいいなと思って、ピアノを教えることになりました。
実際、始めてみたら、私のほうが嬉しくなるほど喜んでもらい、あらためて音楽の素晴らしさに気づくことができ、音楽で明るく生き生きとなる人を増やしていきたいと思うようになりました。
ピアノを弾いて、みんながハッピーに
私自身、ピアノを弾くことが大好きです。
次から次へと住むところが変わり、その土地や生活に馴染むのに必死で、ピアノを弾く余裕のない時期もありました。それでも辛い時にピアノを弾いて、慰められたり、弾けなくてもピアノをやってきたことで、感動したり、喜んだり、言葉を超えて通じ合い、助けられることもありました。
ピアノは弾けないところを練習して弾けるようになるだけでも、嬉しいものです。
ピアノを弾いて、癒されるって、最高じゃないですか?
私自身、ピアノ一辺倒でなく、ピアノから離れたり、いろんな経験を積んだことが、今、演奏にも教えることにもすごく活かされていると思います。
ピアノはいくつになってから始めても、必ず上手くなります。
曲もいっぱいあります。
弾けるようになると、どんどん楽しくなります。
達成感が得られて、頭も使って、脳トレにもなります。
ピアノを弾いて、すべての人がハッピーな時間を持てるようになる。
そして周りの人にも優しくなれる。そんな世界を全力で応援したいと思っています。
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